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横浜地方裁判所 昭和59年(ワ)945号 判決

原告

松野秀雄

右訴訟代理人弁護士

高橋利明

田岡浩之

被告

三井都市開発株式会社

右代表者代表取締役

坪井東

被告

三井不動産株式会社

右代表者代表取締役

坪井東

右被告ら訴訟代理人弁護士

渡辺昭

片柳昂二

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らと原告の間で原告が別紙物件目録記載の土地について昭和五九年一一月一八日から期間二〇年の借地権を有することを確認する。

2  被告らは原告に対し、別紙物件目録記載の土地を引き渡せ。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者の地位

(一) 原告は、松野ひさの実子であり、同人が昭和四四年六月一二日死亡したため、同人を相続した。

(二) 本件土地は、もと神奈川県農工銀行の所有であつたところ、昭和一九年九月二八日、日本勧業銀行に、昭和三九年四月二七日、川松康作に、同四七年九月六日、第一不動産株式会社に、同四八年六月二九日、被告三井都市開発株式会社(以下「被告三井都市開発」という。)に、それぞれ順次譲渡され、現在は、被告三井不動産株式会社(以下「被告三井不動産」という。)が、昭和五八年一月に被告三井都市開発から買取り所有権を取得したと主張している。

2  本件土地の借地権

(一) 原告の実母亡ひさは、昭和一九年頃、本件土地上にあつた建物を所有権者の三島某から賃借して居住していたが、昭和二〇年五月二九日、横浜大空襲により右賃借建物が焼失したので、本件土地に対する建物所有目的の借地権を右三島某から譲り受け、当時本件土地の所有者であつた日本勧業銀行との間で本件土地の賃貸借契約を締結した。

(二) 亡ひさは、本件土地上に建物を建築し、原告夫婦及びその実子二人と同居して生活していたが、昭和二二年六月頃、アメリカ合衆国軍隊により本件土地は接収された。

3  接収の解除と借地権設定の申出

アメリカ合衆国軍隊は、本件土地を同軍関係者の住宅等として使用していたが、同五七年三月三一日、米軍から防衛施設庁に対し返還され、同五八年一〇月一三日、接収不動産に関する借地借家臨時処理法(以下「接収不動産法」という。)二四条による接収解除公告がなされた(掲載官報の発行日は同月一二日)。そこで原告は、接収不動産法三条二項にもとづき、同年一一月一六日付内容証明郵便をもつて被告三井都市開発に対し、本件土地に対する建物所有の目的による借地権設定の申出でをなし、右書面は同月一七日、同被告に送達された。

4  結論

よつて、原告は被告らに対し、借地権に基づき、本件土地の借地権の確認及び右土地の引渡しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)は不知、同(二)を認める。但し本件土地の現在の所有権者は被告三井不動産である。

2  同2(一)は不知、同(二)は本件土地が接収されたことを認め、その余は不知。

3  同3を認める。

建物が罹災した当時、原告は本件土地につき借地権を有していなかつたことが明らかであるから、原告には罹災都市法一〇条の適用がなく、したがつて原告は借地権を被告に対抗し得る前提を欠くものである。

また、接収不動産法三条二項は、建物保護法によつて借地権を対抗しえた者が、登記した建物の接収中の滅失または除却によつて、対抗力を失つた場合にのみ適用されるものであり、原告は、原告が建物保護法によつて対抗しえた者である旨の主張をしていないから、接収不動産法三条二項の適用をうけるものではない。

三  被告らの抗弁(賃借申出拒絶の正当事由)

被告三井不動産は、本件土地の所有者であるが、昭和五八年一二月六日原告に対し、原告の借地権設定の申出を拒絶する旨の意思表示をなした。右拒絶の申出でには、次の通り正当事由がある。

1  本件土地を含む周辺地区八八万二〇〇〇平方メートルについては、横浜市が昭和五三年一〇月施行区域を決定し、同五七年一月「横浜国際港都建設事業新本牧地区土地区画整理事業」の事業認可をなし、現在区画整理事業を実施中であり、既に、換地案の縦覧中である。

被告は、本件土地の外にも同区画整理事業地区内に土地を所有し、同事業計画に従つて集合換地をうけ、同換地指定地は、集合住宅地区に指定され同地区には、木造の低層住宅は、建築することが不可能となつており、被告らは計画に従つた高層集合住宅を建築することが義務づけられており、原告の申出でをみとめることができない。

2  原告が、本件土地に借地権を設定しなければ住居が得られず、若しくは特段の不利益があるとは到底考えられない。

接収不動産法に基づく優先借地権設定の申出は「相当な借地条件で、かつ、賃借権の設定の対価を支払つて」行われるものであり、借地条件や設定の対価(権利金)を通常の取引より特に有利に定めさせようとする趣旨を含むものではない。従つて、原告が特段の事情がなければ、本件土地に固執する理由はない。接収後既に三〇年以上を経過し、本件土地はその間市民の利用を離れ、既に生活上の便宜も、個人的情緒的な執着もうしなわれている。

以上の利害を考慮すれば、被告の拒絶には正当の事由があると解すべきである。

四  抗弁に対する認否

争う。

原告は明治四二年八月一七日の生まれであるが、健康で、妻シズ、二男正己、正己の妻利子、及び同人らの二人の娘の合計六人の家族で同居し、かつ現住所において二男正己と洋服仕立業を営んでいる。原告は、昭和二二年六月頃、本件借地が接収されたため現在居住している肩書住所に一二・八六坪の借地をし、その後昭和三三年六月四日に、右土地の所有権を取得したものである。右の土地一二・八六坪上の建物は、昭和三五年に建て直したが、築後約二五年を経てすでに老朽化しているうえ、一階部分の大部分が店舗兼仕事場であり、その余の数部屋に家族六人で居住している状況であつて、極めて、手狭である。土地が狭いために増築のしようもない。原告夫婦及び二男一家は本件借地上に居住用の建物及び店舗を建築して自ら使用する意思であり、その必要性は極めて高いことは明白である。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1(一)(原告の地位)の事実は、〈証拠〉によりこれを認めることができ(ただし亡ひさの戸籍上の名は「ひ」で、原告はその養子である。)、他に右認定を左右する証拠はない。

請求原因1(二)(被告らの地位)の事実(但し本件土地が現に被告三井都市開発の所有である点を除く)は、当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、被告三井都市開発は昭和五八年一月に本件土地を自社同様いわゆる三井グループに属する被告三井不動産に売却したが、登記簿上の所有名義は被告三井都市開発のままとなつており、被告三井不動産は、後記のとおり本件土地を含む周辺の土地の開発後第三者に中間省略登記により処分する計画であることが認められ、右認定に反する証拠はなく、右事実によれば、本件土地の所有者は被告三井不動産である。

二請求原因2(本件土地の借地権)の事実のうち本件土地が接収されたことは当事者間に争いがなく、また、〈証拠〉によれば、原告は先妻静子との間に二人の子(幸一、正己)をもうけたが、同女と死別し、昭和一九年、後妻シズと再婚し、同女と共に昭和二五年一一月七日、叔母(原告の母の妹)亡ひさの夫婦養子となつたこと、原告は昭和一九年九月ころまでは、横浜市中区長者町五丁目六八番六所在の約二五坪の借地に居住し、同所で洋服店を開いていたが、同年一〇月初めころ、亡ひさが借家した当時神奈川県農工銀行(日本勧業銀行の前身)所有の本件土地上にあつた三島某所有の建物に移り住んだこと、しかし右建物が、昭和二〇年五月二九日の横浜大空襲により罹災して焼失したので、原告一家は、近隣の檀那寺に一時身を寄せた後、本件土地上にバラックを建てて居住したが、亡ひさは、罹災後東京都江東区の親戚に身を寄せていた三島から本件土地の借地権を譲り受け、当時本件土地の所有者であつた日本勧業銀行からも借地権譲受の承諾を得て、同銀行に地代を収めていたこと、ところが、昭和二二年六月ころ、米軍による本件土地の接収がなされ、原告一家は本件土地からの立ち退きを余儀なくされるに至り、亡ひさはやむなく前記長者町五丁目六八番六の土地(但し、面積は四二・五一平方メートルに狭められた。)を所有者の田中力蔵から借り受けたことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右事実によれば、松野ひさが本件土地の接収時における本件土地の借地権者であつたと認めることができる。

三請求原因3(接収の解除と借地権設定の申出)の事実は当事者間に争いがない。

原告の右借地権設定の申出は前記一のとおり当時本件土地の所有者である被告三井不動産に対するものではなく、本件土地の登記簿上における所有名義人である前所有者被告三井都市開発に対してなされたものであるが、接収不動産法三条二項にもとづく借地権設定の申出は、被告三井都市開発から被告三井不動産に対する本件土地の所有権移転登記のなされない限り、登記簿上の所有名義人である被告三井都市開発に対してなされれば足りると解すべきであるから、右申出は適法なものということができる。

四ところで被告らは、原告は罹災都市法一〇条及び接収不動産法三条二項による保護を受け得ないものである旨主張するのでこの点につき検討する。

確かに罹災都市法一〇条には、「罹災建物が滅失し、又は疎開建物が除却された当時から、引き続き、その建物の敷地又は換地に借地権を有する者」とあるから、罹災時から存する借地権でも、これをその当時の借地権者から譲り受けた者には、同条を適用する余地がないけれども、同法三条により、借地権の譲渡を受けた者が罹災建物が滅失した当時における右建物の借主である場合には、その借地権の登記あるいは右建物の登記がなくとも他の者に優先して右登記のある場合と同一の効力を有するのであるから、引き続き敷地の借地権を有していて同法一〇条の適用がある者と同一の地位において第三者に対抗できるものと解するのが相当である。

そして、まさしく、前記認定事実によれば、原告の養母ひさは罹災建物が滅失した当時における建物の借主で、当時の借地権者の三島某から本件土地の借地権を譲り受けたものであるから、亡ひさの本件土地の借地権は同法一〇条の適用を受ける借地権者の借地権と同様に第三者に対抗できるものというべきである。

また被告らは、原告が接収不動産法三条二項の適用を受けえない旨争うので考えるに、確かに同項には、「土地が接収された当時から引き続きその土地に借地権を有する者で、その土地にある当該借地権者の所有に属する登記した建物が接収中に滅失(……)したため」とあつて、この文言からみると、本件のように建物が戦災によつて消滅し、接収時には既に登記した建物が存在しない場合には同項の適用がないとも考えられるが、しかし同項には、同法が接収された土地の返還における借地関係の調整を目的としているところからみて(同法一条)、借地権者において接収中に建物を再築することはおよそ不可能であるから、接収時に、建物の登記という方法で借地権を第三者に対抗し得た者で、接収中に建物が滅失(あるいは接収時に除却)したために、第三者に対する借地権の対抗要件を失うに至つた者をも、接収地に対して土地優先賃借権を申出ることができる借地権者に含まれるのであるから、接収時に「登記した建物」を有しない借地権者であつても、第三者に対する対抗要件を具備し、かつその対抗要件が接収中に消滅してしまつた者をも含まれ、これらの者にも同項の適用があると解するのが相当であり、このことは同法三条五項が「第一項又は第二項に規定する借地権者の借地権が接収された当時において第三者に対抗することのできない借地権……であるときは、これらの規定は、適用しない。」と規定していることからも首肯できる。

してみると、本件における原告の借地権は接収時には第三者に対抗し得たものであるから同法三条二項の適用があるというべく、この点に関する被告らの主張は採用できない。

五次に被告らの抗弁(賃借申出拒絶の正当事由)について検討する。

1  〈証拠〉によれば、昭和五八年一二月七日到達の内容証明郵便にて、本件土地の所有者である被告三井不動産が原告に対し、原告の借地権設定の申出を拒絶する旨の意思表示をしたことが認められる。

2  〈証拠〉によれば、以下の事実を認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠は存しない。

(一)  本件土地は横浜国際港都建設事業新本牧地区土地区画整理事業(施行者横浜市長、以下「本件事業」という。)の施行地区に含まれているところ、右施行地区は、本件事業によりセンター地区、表通り地区、低層住宅地区、集合住宅地区等に区分され、右施行地区内の土地所有者はその利用目的に応じた地区内の土地の換地を受けることになつていること、

(二)  一方、被告三井都市開発は、被告三井不動産を含むいわゆる三井グループ各社が土地等の開発等を行うために共同出資して設立した会社であり、前記のとおり本件土地は、一旦、被告三井都市開発が取得したうえ、開発目的で昭和五八年一月、被告三井不動産に売却されたものであり本件事業においては、本件土地の所有名義人の被告三井都市開発を権利者として事業計画が進行していること、

(三)  被告三井不動産は、本件土地を含め本件事業地区において被告三井都市開発名義で土地一三筆地積合計七二四五・二五平方メートルを所有し(本件土地のほかは、いずれも横浜市中区本牧町三丁目六四六番一宅地六〇七・九三平方メートル、同所六四六番二宅地一八一・八一平方メートル、同所七一三番宅地六七三・九五平方メートル、同所七一三番二宅地二・八四平方メートル、本牧町四丁目八六七番一宅地一四八・七六平方メートル、同所九四九番宅地五二・八九平方メートル、同所一〇八三番一宅地二三八・三四平方メートル、本牧和田一一五番一山林一〇九平方メートル、同所一五七番宅地三七七九・七九平方メートル、同所三四番山林二二八平方メートル、同所六〇番二雑種地二三九平方メートル、間門町一丁目一五一番宅地四二八・七六平方メートル)、右従前地に対しては、昭和六〇年八月二六日付で集合住宅地区内に仮換地(仮番一二街区画地番号二番、五二七五・七一平方メートル)の指定を受けたこと(効力発生日同年九月一日)、右集合住宅地区内の土地については、その利用目的が共同住宅、寄宿舎又はタウンハウスの建築とされていること、

(四)  被告三井不動産を含む前記一二街区内に換地指定を受ける予定の約二〇名の従前地権利者は共同して、各換地予定地を一体として同地上に集合住宅地区の土地利用目的に沿つたマンションを建築する計画を立て、既に横浜市へのその旨の許認可申請手続を行つていること、なお、昭和六四年三月中には本換地の指定が行われる予定であること、

(五)  これに対して、原告(明治四二年八月一七日生)は、昭和三三年六月四日、横浜市中区長者町五丁目六八番六所在の四二・五一平方メートルの借地を所有者の田中力蔵から買い受け、現在、同所に築後約二五年の二階建木造建物(床面積一、二階各二八・四九平方メートル)を所有し、右建物の一階を店舗として二男とともに洋服仕立業を営み、二階を住居として、妻、二男夫婦、孫二人の六人家族で同所に居住しているが、原告は、より広い本件土地に居住用の建物及び店舗を建築することを希望していること、

3  ところで、接収不動産法三条四項所定の、土地所有者が借地人からの正当な敷地賃借申出に対し、これを拒絶しうる「正当事由」の有無は、土地所有者及び賃借申出人がそれぞれの土地の使用を必要とする程度如何は勿論のこと、双方の側に存するその他の諸般の事情も総合して判断すべきものではあるが、具体的には同法が戦後復興を目的とする罹災都市借地借家臨時処理法(昭和二一年八月二七日法律一三号)による罹災地の借地人の保護との権衡上、接収地の旧借地人を保護するため制定されたものであり、そこには戦後同法の施行当時の劣悪な住宅事情下における接収者の住居等の安定確保と接収解除地の復興促進の要請があるが本件は同法施行から約三〇年近くも経過した後に接収解除がなされ、しかも現在では本件土地の存する横浜市周辺の住宅事情は同法施行当時では予想できなかつた程に大幅に改善されていることは公知の事実であつて、もはや同法の前記要請も極めて薄らいだものといわざるをえないし、また賃借申出人は賃借していた接収地を離れて既に四〇年余を経過し、居住環境もそれなりに安定しているという状況下にあることをも考慮して判断するのが相当である。

したがつて以下かかる観点から原告の本件土地の賃借申出に対する被告らの拒絶の正当事由の有無につき考える。

前記認定事実によると原告はより良好な住居兼店舗を確保しようという希望を持つてはいるが、今直ちに本件土地(ひいてその仮換地ないし換地予定地)上に借地権を回復して住宅等を確保すべき差し迫つた必要性はない一方、接収解除後の本件土地を含む周辺土地は、被告三井不動産ら所有者の土地利用の意向を容れつつ都市計画が立案実施されていて、同被告については既に仮換地の指定があり、早晩本換地の指定が予定され、被告三井不動産においても、同地上にマンションを建築することを計画しているのであつて、これを前記観点からみるとき、被告三井不動産の自己使用の必要性は、原告のそれに優越するものとして、同被告には正当の事由があるというべきである。

したがつて、本件土地について被告三井不動産が原告に対してなした賃借申出拒絶は接収不動産法三条四項の「正当事由」ある場合と言え、原告の賃借申出によつて原告には借地権を取得すべき効果は生じない。

六以上の次第で、原告の本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山口和男 裁判官櫻井登美雄 裁判官小林元二)

物件目録

一 横浜市中区本牧荒井所在

1 地番 三三番

2 地目 宅 地

3 地積 五五四・一八平方メートル

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